地球温暖化の原因として広く知られる二酸化炭素(CO₂)ですが、その一部は大気中にとどまらず海に溶け込んでいます。
この「海がCO₂を吸収する」という、一見地球にやさしいはずの作用が、実は深刻な環境問題を引き起こしていることをご存知でしょうか。
それが「海洋酸性化」であり、海の生き物たちの未来を静かに脅かしています。
目次
海洋酸性化とは何か?── 海が「酸性」に近づく仕組み
海水は本来弱アルカリ性で、表面付近のpHはおよそ8.1前後です。
人間活動によって大気中に排出された二酸化炭素の一部を海洋が吸収すると、海水中で化学反応が起こって水素イオンが増加し、結果として海水のpHが少しずつ下がっていきます。
この、海洋のpHが長期にわたって低下していく現象を「海洋酸性化」と呼びます。
なお、現在の海水は弱アルカリ性を保っており、文字どおり「酸」になるわけではありません。
あくまでアルカリ性が弱まりながら酸性に近づいていく現象を指しています。
海洋酸性化はどこまで進んでいるのか
海洋酸性化はすでに世界各地の長期観測データで確認されている現象です。
気象庁の観測(東経137度線)では、1983年から2007年にかけて表面海水中のpHが10年あたり冬季で約0.018、夏季で約0.013のペースで低下していることが報告されており、太平洋・大西洋・南大洋など世界各地の観測点でも同様の低下傾向が確認されています。
さらにIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書(2021年)によれば、全球平均の海洋表面pHは今世紀末までに19世紀終盤と比べて0.16〜0.44低下すると予測されているのです。
pHの数値で見るとわずかな変化に思えるかもしれませんが、これは海の化学的なバランスにとって非常に大きな変化を意味しています。
殻や骨格が作れなくなる── 海の生き物への深刻な影響
サンゴや貝類、ウニなどの棘皮動物、円石藻と呼ばれるプランクトンは、海水中のカルシウムイオンと炭酸イオンを材料に、水に溶けにくい炭酸カルシウムの殻や骨格を作って生きています。
海洋酸性化が進んで水素イオンが増えると、材料となる炭酸イオンの濃度が下がり、これらの「石灰化生物」が殻や骨格を作りにくくなる環境が生まれるのです。
この影響を測る指標として「炭酸カルシウム飽和度(Ω)」と呼ばれるものが用いられます。
簡単にいえば、殻を作るための材料がどれくらい豊富に存在しているかを示す数値で、Ωが1を下回ると炭酸カルシウムは溶け出してしまうのです。
気象庁によれば、現在は世界の表層海洋でおおむねΩが1を上回っているものの、Ωが下がるだけでも生物の成長速度が低下することが実験で確認されています。
さらにIPCCの予測では、北極域ではすでに季節的にΩが1を下回っており、南大洋でも早ければ2030年代には季節的に1を下回ると見込まれています。
具体的にどんな生き物が影響を受けるのか
米国オレゴン州・ワシントン州のカキ養殖場(孵化場)では、2005年から2008年ごろにかけてカキの幼生が大量死する事態が発生しました。
幼生の70〜80%が死滅するという深刻な被害が出ており、オレゴン州立大学の研究チームによる調査で、海洋酸性化が原因の一端であることが科学的に裏付けられています。
クジラや海鳥の重要な食料となる「翼足類」と呼ばれる薄い殻を持つプランクトンも、酸性化した海水の中で殻が溶けたり成長が遅れたりすることが実験で確認されています。
日本でも、日本財団が2020年から1年半にわたって実施した観測調査において、海洋酸性化による直接的な被害は確認されていないものの、カキやサンゴの成長に影響を及ぼす可能性のある数値が複数回観測されました。
水産業・観光業、そして地球温暖化そのものへの影響
海洋酸性化の影響は、石灰化生物だけにとどまりません。
食物連鎖の下位に位置する植物プランクトンや動物プランクトンが生息・繁殖しにくくなると、その影響は連鎖的に上位の魚介類にも及び、漁業や水産業全体に波及する可能性があります。
サンゴ礁が衰退すれば、それを観光資源とする地域経済にも打撃が及ぶことが懸念されています。
さらに見過ごせないのが、海洋酸性化が温暖化そのものを加速させる可能性です。
海水の化学的性質が変化することで、海洋が大気中のCO₂を吸収する能力が低下すると指摘されており、その結果として大気中に残るCO₂の割合が増え、地球温暖化がさらに進んでしまうという悪循環が懸念されています。
まとめ:海が「酸性」に近づく中、私たちにできることは何か
海洋酸性化の根本的な原因は、大気中のCO₂濃度の上昇です。
そのため、対策の方向性は気候変動対策と本質的に同じといえます。
日々の生活におけるCO₂排出削減──省エネルギーの実践、再生可能エネルギーの活用、公共交通機関の利用など──の積み重ねが、回り回って海の生態系を守ることにつながるのです。
海洋酸性化はまだ実態の解明が進められている分野でもあります。
専門家による観測と研究が続けられている今、私たち一人ひとりがこの問題に関心を持ち続けることもまた、長期的な解決に向けた大切な一歩になるはずです。

