皆さんは東京にある「夢の島」をご存じでしょうか。
現在では観光地として多くの人が訪れるその場所には、さまざまな歴史があります。
この記事では、「夢の島」が現在の姿になるまでの歴史と、かつての日本が抱えていたごみ問題について、見ていきます。
かつては「ごみの島」だった、夢の島
夢の島がかつて「ごみの島」として大きな社会問題となっていたことを知っていますか。
戦時中に生まれた埋立地、夢の島。
夢の島というのは通称で、正式には「東京湾埋立14号地」といいます。当初は飛行場計画のもと築かれた場所ですが、戦況が厳しくなったことで計画は頓挫しています。
戦後1947年、未利用であったこの場所は海水浴場として開業。
このとき付けられた名前が「夢の島海水浴場」です。
しかし財政難や台風被害などによって、わずか3年で閉鎖。その後7年間も放置されることとなるのです。
そんな夢の島の利用法として浮上したのが、ごみの埋め立て処理場。
当時の日本は高度経済成長期真っ只中。急増するごみの処分地として、夢の島に白羽の矢が立ったのです。
当時のごみの処分方法は、今と違い、生ごみなども燃やさず投棄する方法。
毎日5000台ものゴミ収集車が行き交い、悪臭が発生し、ネズミやハエなどの害虫が近隣の人々の生活を脅かすこととなったのです。
東京ゴミ戦争勃発
想像してみてください。毎日大量のゴミが運ばれてきて、その被害に悩む日々を。
今では当たり前のようにごみ焼却場が全国に普及していますが、当時はまだこういった施設が当たり前ではなく、急速に発展する社会に追いついていなかったのが実情。
夢の島のある江東区民は、生ごみによる悪臭や害虫被害に悩まされると同時に、区外のごみまで運び込まれてくる現状に声を上げ始めます。
「東京ゴミ戦争」(1971年ごろ)と呼ばれたこの論争は、いまのごみ焼却場・清掃工場建設の大きなきっかけとなり今日に至ります。
生ごみを焼却する今、問題は解決したのか?
生ごみの埋め立ては異臭や害虫被害など多くの問題を引き起こします。
現在では、焼却炉で燃やしてから埋め立てる、というのが当たり前になっていますが、これはかつての問題の解決とはなりましたが、新たな課題もあります。
生ごみは多くの水分を含むため、焼却に多くのエネルギーを使います。
このため、多くの二酸化炭素を排出したり、焼却炉の劣化を早めてしまったりするなど、問題も多くあります。環境への負担はもちろん、自治体の負荷が大きいとごみの処理にかかる費用も増加し、結果的に私たちの暮らしに直結する問題となってしまうことを意識しなければなりません。
近年では、生ごみをそのまま処分せず、乾燥させることなどが推奨されており、自治体が生ごみ処理機などの購入を一部負担してくれるケースもあります。
夢の島は、日本のごみ問題の歴史の転換点だった
現在の夢の島は、緑あふれる公園として多くの人が訪れる場所となりました。
しかしかつてはごみ問題を抱え、それに声を上げ続けた人々がいることを忘れてはなりません。
現在の日本は、かつてよりも多くの環境課題を抱えています。
ごみ問題ももちろんその1つですが、これは私たち個人が解決に向けて取り組むことのできる課題でもあります。
生ごみの捨て方や、プラスチックごみの削減など、身近な課題に目を向けることが、私たちの暮らし、そして地球の未来にもつながる、ということを今一度考えてみませんか。